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V.E.F.inTamaニュースNo36(2002.06.11)

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発行元:多摩起業家育成フォーラム 事務局
国立市中2の1 一橋大学イノベーションセンター内
v-egg@iir.hit-u.ac.jp
http://sangyo-npo.jp/vef/
編 集:森崎 弘 文 責:森崎 弘
発行日:2002年6月11日[第36号]
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目次 
  1. 事務局からのご連絡
  2. 総会&パネル討論のご案内
  3. ベンチャー甲子園の日程等について
  4. 平成14年度起業家教育交流促進事業 事業計画書(案)
  5. 加藤倭朗氏からのタシケント通信(4),(5)



V.E.F.inTamaニュース No36

1.事務局からのご連絡

 前回ご案内しましたように、来る7月6日(土)午後に総会とパネル討論を行 います。開催時間が変更になっているので、ご注意ください。 過去2年間、フォーラムのいくつかの活動にたいして、中小企業総合事業団が 募集した、「新事業開拓助成金」に応募して、助成を受けてきました。ところが、 今年度から事業団が方針を変えて、NPOや任意団体には助成をしないということ で、本年度は応募ができませんでした。助成対象者は、 (1)行政機関からの出えんを受けて設立された民法法人 (2)行政機関からの出資を受けて設立された株式会社 (3)商工会議所 (4)商工会及び商工会連合会 (5)都道府県又は行政機関から出えんを受けて設立された創業者又は新事業開 拓中小企業者支援を実施している民法法人からの推薦を受けた者であって、 事業団が特に妥当と認めるもの となっていて、半官に限定しているようです。  という訳で、今年度は我々の資金だけでできる事業に限定せざるをえません。  ベンチャー甲子園については、例年通り、10月に開催します。また、ビジネ スプランサポートプログラムと発表会についても開催する方向で検討しています。  とりあえず、以上のような状況をお知らせしておきます。

2.総会&パネル討論のご案内

 下記の要領で、平成14年度の本フォーラムの総会とパネル討論を開催します。 ぜひご参加ください。 日時: 平成14年7月6日(土) 13時〜15時30分 場所: 電気通信大学80周年記念会館3階フォーラム 参加費無料 準備のため参加申込みは下記アドレスに,お願いします。
vef@sangyo-npo.jp メールのタイトルは「7/6総会参加申込み」 本文に1)会員か会員外の区分、2)氏名、3)会社名、4)役職、5)連絡先 のメールアドレス プログラム: 13時〜13時30分 総会 13時40分〜15時30分 パネル討論「大学発ベンチャーの現状と問題点」  パネラー:東京農工大学工学部教授 亀山 秀雄 氏      (株)ナノテコ代表取締役社長 加藤 修一 氏  コメンテータ:一橋大学イノベーション研究センター教授 米倉 誠一郎 氏  司会:電気通信大学客員助教授 竹内 利明 氏  大学発ベンチャー3年間で千社、が数値目標として掲げられていますが、実態 はどうか、現状と問題点を、現場に関わっておられる2人のパネラーにお話いた だき、米倉先生にコメントをいただきたいと考えています。パネラーのお一人の 東京農工大学の亀山教授は、ご自身の技術を企業に技術移転されて、複数の大学 発ベンチャーに関わっておられます。また、もうお一人のパネラーの加藤社長は、 ご自身が代表となって電気通信大学の教官と一緒に半導体関係のベンチャーを興 されています。

3.ベンチャー甲子園の日程等について

 ベンチャー甲子園「テクノロジー&ビジネスアイデアコンテスト2002」の 開催日程を以下のように検討しています。総会で承認が得られ次第、アイデア募 集の公告をしたいと思います。 日時:平成14年10月12日(土)13時から18時 場所:渋谷マークシティ17F サンブリッジベンチャーハビタットセミナー室 (会場は予定)    東京都渋谷区道玄坂1−12−1 昨年同様、大学のアイデアを中心に募集したいと思いますが、予算の関係で、全 国からの募集ではなく、広域関東圏の国公私立大学に声をかける予定です。

4.平成14年度起業家教育交流促進事業 事業計画書(案)

1.対象地域 (1)埼玉県、千葉県、神奈川県 神奈川県教育教育委員会の独自の民間派遣活動を起業家教育の側面から支援( 初任者研修への講師派遣と社会人講師派遣を計画)。埼玉県教育委員会、千葉県 教育委員会との連携を図り起業家教育促進事業の普及啓発に努める。 (2)東京都全域 東京都教育委員会、三鷹市教育委員会、調布市教育委員会などで着実に起業家 教育交流促進事業が定着するように自主的な取組を促しつつ、引き続き継続的な フォローアップを行う。(1)の遠隔地の学校と東京周辺の企業の相互訪問を通 じた連携を図る。また、関東地区以外の教育委員会へのアプローチを強化するこ とによって事業の周知に努める。 2.連携先となる教育委員会 東京都教育委員会(平成12〜14年度後援名義使用承認を受けています) 神奈川県教育委員会、埼玉県教育委員会、千葉県教育委員会 この他、近郊の教育委員会にも可能な限り働きかける。 3.実施体制 (1)起業家教育交流促進事業推進委員会の強化 昨年委員に参加したベンチャーキャピタリストとベンチャー企業経営者の協力 で教員研修の受入企業を増加させた。今年度も新たに2社のベンチャー企業経営者 を委員に迎えた。本委員会の強化により、先導モデル地区に対する定着を図ると ともに、周辺地区でモデル事業の構築に努める。 (委員会の構成)(敬称略) 委員長  森崎 弘   電気通信大学 教授 共同研究センター長  副委員長 米倉 誠一郎  一橋大学 イノベーション研究センター教授  委 員 巽 公一    東京都教育庁 指導部 教育計画担当副参事    〃 小川 崇    調布市教育委員会 指導室長    〃 アレン マイナー株式会社サンブリッジ 代表取締役 〃 岡崎 英人  社団法人TAMA産業活性化協議会 事務局局長 〃 渋谷 章    東京中小企業投資育成株式会社 審議役 〃 知久 信義   ダイヤモンド経営者倶楽部 顧問 〃 宮城 治男   NPO法人ETIC. 代表  〃 家本 賢太郎  株式会社クララオンライン 代表取締役  〃 石井 美鈴   NCAコンサルティング株式会社 代表取締役  〃 加山 幸浩   株式会社イーシー・ワン 代表取締役  オブザーバー 久野 美和子  関東経済産業局 産業企画部 新規事業課 課長 事務局   竹内 利明   主任研究員(電気通信大学客員助教授) 事務局   老川 多加子  研究員(中小企業診断士) (2)事務局体制 主任研究員竹内利明と研究員老川多加子の2名で事業拡大に対応する計画。  必要に応じて定常化してきた業務は臨時雇員で対応する。 4.事業計画の内容 (1)起業家教育涵養教材開発事業との連携強化 昨年度から教材開発事業との連携をはかり、教材の監修、研修啓蒙事業での教 材の紹介(4回)を実施してきたが、本年度は、これを更に進め、啓蒙事業におけ る教材紹介に加え、この教材を授業に活用する学校に社会人講師を派遣すること で、起業家精神を涵養し両事業が相乗効果を発揮するように工夫する。 (2)対象地域と学校の拡大促進 昨年度、神奈川県教育委員会に多摩起業家育成フォーラムの活動内容を紹介し たところ、連携は実現しなかったが神奈川県教育委員会では独自に社会人講師派 遣事業を展開した。本事業では独自に展開する活動もサポートすることで、自主 事業としての展開を促す。また、 関東周辺の地域、特に千葉県と埼玉県で本事業の周知を図るとともに、要望に 応じ社会人講師派遣を積極的に行う。 (3)社会人講師派遣事業  @講師人数 社会人特別講師延べ30名程度を派遣して50校時の授業を行う予定  (昨年度までの実績が評価され、既に5校から講師派遣の申し込みがある。)  A講師の募集方法 昨年度までに実績のある講師を中心として行うが、新規の講師を追加募集す る。  B職場訪問・体験授業 児童・生徒がベンチャー企業等に行き、企業見学に加え社会人講師(企業経 営者)の授業を受ける方法の拡大を図る。 (4)教員研修事業  @派遣人数(延べ370名・日を目標に展開)  1週間研修  夏休みに30名の教員を平均5日間で延べ150名・日派遣  新任教員20名に3日間(事前事後各半日、企業2日)延べ60名・日研 修  1日研修(3.5時間)  夏休み期間と2学期に8回の研修を企画し、東京都教育委員会を経由して 教員の参加を呼びかけ平均20名(延べ160名)の研修を実施。  A教員の募集方法   東京都教育委員会を経由した募集 (5)研修・啓蒙事業(5回開催予定) 上記の事業を円滑に実施するため講師の勉強会の開催に加え、起業家教育の周 知を図る教育関係者等を対象とするセミナーを開催する。  対象者 本事業に関心がある教員、企業関係者、講師への応募者  内 容 ・本事業の趣旨の説明と起業家教育の今後のあり方        ・社会人特別講師の授業方法        ・起業家精神涵養教材等開発普及事業で開発した教材の活用方法

5.加藤倭朗氏からのタシケント通信(4)

早いもので5月になりました。 このところ雨が多く(30年ぶりの異常気象 とか)気温もかなり低い日が続いています。 (夜は白い息が出るくらい。)  タシケントの街は当然雨には弱く2−−3日雨が続くと道路は水溜りだらけ、と 言うか川のようになってしまうところもあります。 先日はその川のようになっ た道路の端に車がエンコしていました。 水に覆われて見えなかった溝にはまっ て立ち往生していました。乗っていた女性達は膝近くまで浸かりながら車から脱 出していました。   先週の日曜日、タシケントで出会い結婚したカップルの結婚式がありました。 新郎はJETROウズベキスタン事務所長の下社さん、新婦はタシケント国立経済外交 大学で日本語を教えている松本さん。 式はウズベキスタンの伝統的なやり方で 行われました。 前日及び当日の朝は花婿の実家に男性陣が、花嫁の実家に女性 陣が集まりそれぞれ準備します。 結婚式の当日の朝は、ブロフ(肉と野菜とお 米を炒めた料理)を式の参加者に振舞います。そのための準備として前日より材 料の野菜を切ったり羊(これは羊を売っている郊外のマーケットで1頭買ってくる )を屠って準備します。  私はこの現場を見なかったのですが、この場にいた 新郎の弟さんの話ではかなりのショックだったそうです。(あんなに優しい目を していた羊だったのにと言う感想でした。)もちろん夥しい血も流れるしかなり の匂いが漂い翌日まで残ったそうです。 朝のブロフの準備は男性のみで行われ 近所の人を含め皆包丁持参で野菜を切ったりして忙しそうでした。 (私は前日 の午後、準備がほぼ終わってから来てくれた人たちに振舞う食事に呼ばれました。 ) 下社邸が花婿の実家、私の家が花嫁の実家と言う設定で式が進められました。  日本から下社さんのご両親、弟さん、松本さんのお母さんか来られました。当 日の式は、午前11時ごろ花婿の実家から花嫁の実家に花嫁を貰い受けに来る儀式 があり、花婿側の一団が長い大きなラッパとチャルメラのような音をだす笛と太 鼓とタンバリンのような打楽器のバンドを先頭に踊りながら花嫁の実家まで練歩 きます。 本当に賑やかで、通りの家々の人も皆出てきて見物していました。  花嫁の実家の前でひとしきり音楽隊の音と踊りが激しくなったあと、貰い受けの 儀式が始まりました。 花嫁をもらいに来た、いや渡せない、ではこれこれの代 償を払うと言うようなやり取りがあり結局おもちゃのお金を花嫁側に渡して終了 です。 その後、花嫁を連れ花婿が実家まで行列して帰りこの儀式は終わりまし た。 花嫁、花婿、ご両親そして私もウズベクの衣装で参加しました。 式の終 わりに花婿が挨拶を日本語とロシア語で行いました。 花嫁のお母さんは涙を浮 かべてそれを聞いていました。 夜は、全く趣向を変えて当地のナボイ劇場のレ ストランを借り切って日本流の式と披露宴が行われました。 中山大使も出席し 女性大使の面目躍如と言う感じの挨拶をされました。 花嫁は純白のウェデイン グドレスで昼間のウズベク衣装と対照的でした。 食事が始まり直ぐにウズベク 流のダンスが始まりました。 ここでパーテイーと言えば即ダンスで全員参加の ダンスです。 (阿波踊りのようなダンスですから誰でも杉参加できます)。  参加者は皆ニコニコ顔で帰っていきました。 本当に楽しましてもらった一日で した。 松本さんとも下社さんとも知り合ってから3ヶ月くらいですが、しっか りした考えを持ち当地で頑張っている気持ちの良い若者達です。 2人のご両親 ご家族とも明るい前向きの考えをもった愉快な人たちでした。 当然ウズベキス タンは初めてなのにもかかわらず、言葉も話せないのにもかかわらず積極的に動 き回っていました。 家が程よく近いこともあり、我が家を花嫁の実家として使 ってもらったのですがかえって大変貴重な体験をさせてもらいました。 加藤倭朗氏からのタシケント通信 (5) 中央アジアのウズベキスタンに来て6ヶ月経ちました。 最近経験した3つの セレモニーについて記してみます。 セレモニー1. 経済学博士号取得審査会  私が勤めている、タシケントバンクカレッジの学長(と言っても年齢33歳) が、経済学博士号を取得することになりその最終審査会がありました。 私も学 長の博士論文作成に多少お手伝いしたこともあってその審査会に出席しました。 ウズベキスタンの経済学界のお歴々約15人が審査員として見守る中、論文の発 表が始まりました。 論文は、「ウズベキスタンにおける起業家教育と政府の役 割」と言うタイトルです。 当国の公の会議は通常はウズベク語で行われますが 何故かこの場はロシア語でした。 それは審査員の方々の多くが65歳以上で( 多くは70歳を超えている)旧ソ連時代そのままの形式が保たれている為のよう です。 発表が終わると審査員一人一人が質問、コメントを行ったのですが、こ れが皆長い。 一人大体15分ぐらいはしゃべるので聞いている私としてはかな りつらい時間となりました。 通訳(バンクカレッジでの私の講義を通訳してく れているイギリス留学経験をもつウズベク人の若者)も最初の内はきちっと訳し てくれたのですが、そのうち訳がかなり疎らになり最後は要約と言うか意訳と言 うか、つまり訳すのが馬鹿馬鹿しくなるほど空疎な質問内容なのでしょうか、最 新の学識を持っている通訳君は“これがウズベキスタンの経済学会のレベルなの です”と皮肉っぽく言っていました。 例えば、この論文には今当国で話題にな っているマイクロファイナンスが言及されていないとか、果ては、来週は私の7 5歳の誕生日でお祝いをやるから来てくれとか、論文の内容とはまったくかけ離 れた質問、コメントの連続だったようです。 でも、発表者はこの質問に一つ一 つ回答していました。 実際、審査員の方々も同僚の質問内容には興味が無いら しく彼方此方で私語が延々と続いていました。 私語が消えたのは、遅れてやっ てきた高等教育省大臣が挨拶をしていたときだけで、これも15分ぐらいしゃべ るとそこそこに引揚げていきました。 この論文はモスクワの経済アカデミーに も送られていてそこからのコメントも読み上げられていましたが内容は全く適切 さを欠いたもののようでした。 約4時間の発表と質問が終わると、審査員以外 は退席し審査結果を部屋の外で待ちました。 やがて皆が部屋に呼び戻され全員 一致で合格した旨発表されました。 通常、審査会で発表できれば合格間違いな しとのことで、審査会での審査を受け付けてもらうのに時間がかかるとのことで す。 学長の場合も当初2月の予定だった審査会が審査員の都合で5月になって ようです。 その後場所を変えてお祝いの宴会が始まり参加者は個室に分かれて 食事とウォッカでの乾杯が始まりました。 博士号を取得した学長は各部屋を回 り乾杯を受け返しながら挨拶に大忙しでした。 各部屋では、順番に一人ずつ立 ち上がって博士号取得を称えるスピーチとウォッカでの乾杯です。(文字通りの 乾杯で一気に飲み干す) 私の部屋には学長の恩師達、高等教育省の役人である 弟さんを含め10人いましたので、都合グラスに10杯のウォッカを飲まされる 羽目になりました。 私は9時ごろ帰りましたが(と言っても翌日そう教えても らっただけでその夜の記憶は全く残っておらず翌朝目がさめてもどうやって家に 帰ってきたのかも覚えていない体たらくでした。)深夜まで飲みつづけた人も居 たそうです。 恐るべしウズベク人。    セレモニー2 結婚式  私の通訳兼アシスタントのトシテミール君が結婚することになり式に呼ばれま した。 彼は国の奨学金でイギリスに留学した経験をもつ優秀なウズベク人です 。 現在はウズプロム銀行と言う大手銀行に勤務しながらアルバイトに私の通訳 をやり、更に大学で講義も受け持っている(国費海外留学者は帰国後大学で最新 の知識を学生に教えるのが決まりとなっている)という超多忙な日々を送る若者 です。 結婚相手は、親の決めた相手ではなく(当地では相手を親が決めるのが 普通)、同じ銀行に勤める女性です。 彼女は昨年大学の英文科を卒業して銀行 に就職したばかり。 結婚後は職場を辞めるそうで何とももったいない感じがし ますが、ここの慣習からすると当たり前なのかもしれません。 まず最初にベシ ャルク(花嫁の実家)で木曜、金曜と2日間式と披露宴が行われ、金曜日の午後 にアクタシ(花婿の実家)まで車で移動し土曜日の昼と夜、披露宴がとり行われ ます。 2つの場所は800キロ離れています。 両方に出席するものにとって は何ともきついスケジュールです。 私はトシテミール君とともに金曜日の午前 6時にタシケントを出発、ベシャルクで行われた12時からの式と披露宴に出席 し、その後午後3時ごろ車で花婿の実家へ向け出発、アクタシ村に到着したのは 土曜日の午前4時でした。 花嫁は木曜の親戚を中心とした宴会、金曜日の式と 披露宴を終え、アクタシへ着いたのはなんと土曜の朝8時。 アクタシでは昼間 の親戚を中心とした宴会で花婿は開放されますが、花嫁は更に近所の女性のみが 集まる披露宴に出席とこれまたハードな日程です。  式、披露宴とも地域によ りかなり異なるようで、今回は花嫁側にいろいろな負担がかかるケースのようで した。 ただどちらも、地域、近所の人たちが式や披露宴の準備を手伝いまたお 祝いする点と、男性と女性が別れて集うことが多いと言う点は同じです。 今回 は海外帰りの若者とあって旧来の伝統に固執せず簡略化したところもある式だっ たようです。 (例えば、花婿の家に入る前に燃える火の周りを3回まわる儀式 とか、花嫁花婿は結婚式の日から3日間は外へ出てはならない仕来りをちょっと 省いたとか、式と披露宴を一体化したとか) 式では市役所の職員にきてもらい その面前で婚姻届に署名した後、花嫁の母親の挨拶、親戚の挨拶、地域の長老の 挨拶と続き、私もお祝いをウズベク語で行うつもりでした。 が、1日かかって 暗記したはずの短い文章はスピーチが始まったとたん頭から飛び去ってしまい慌 ててメモを見ながらナンとか話し終えました。 でも、皆大きな拍手でこたえて くれました。 スピーチの後は、ウズベキ伝統音楽のライブをバックにお祝いの ダンスを披露するのですが、このダンスは既に色々な場所で経験済みで――阿波 踊りのようなダンスで誰でも出来ます――踊り始めると一緒に踊ってくれる人、 肩に絹のショールをかけてくれる人(これはダンサーへの贈り物)、お祝いのお 金(スム札)を握らせてくれる人等で本当に賑やかなお祭りの雰囲気です。 大 きな拍手をいただいてそのまま席の戻ろうとしたら、いただいたお金はダンサー ではなく、バンドの人にあげるのだそうで慌ててバンドマンに手渡すと皆大笑い していました。 その後、来賓方スピーチの後のダンスにも参加し皆さんと暖か い交歓が出来ました。  式のお開きには、地域の長老に紹介され一緒に写真を とるなど和やかに楽しい一時を過ごし花嫁花婿のご両親、親戚の方々も喜んでく れました。皆の見送る中、午後3時、花婿の出身地のアクタシに向け出発しまし た。 トシテミール君の友人が案内兼通訳としてまたドライバーの一人として付 いてくれました。 翌日の午前4時にアクタシに到着、花婿のおじさんの家に宿 泊。 8時に起こされ9時に花婿の実家での宴席(参加者は男性のみ)に出席。  ベシャルクでそこそこ親しくなった花婿のお父さんに朝っぱらから早速ウォッ カを勧められました。 ゲストの私が飲まないと皆飲めない、てなことを言われ 1杯呑み干すと、花婿のために1杯、次は花嫁のために1杯と次々に理由をつけ てウォッカを呑まされ完全に先方のペースに引き込まれてしまいました。 この 間、別の部屋で行われている女性陣のみの宴席に、花嫁は居るのですがそこがど うなっているのか全く分りません。 同じようにウォッカを飲んでいるのでしょ うか? でも私はウズベクの女性がウォッカを飲んでいるのを見たことがありま せん。 男性陣の行事はこれでおしまいですが女性陣は更に夕方宴席がある由。  本当にお疲れ様です、花嫁さん。 当地の慣習では、花嫁花婿は結婚式の後3 日間は部屋の外に出られない(部屋を赤いカーテンで仕切りそこから出られない )とのことですが、今回はその3日間を1日に短縮したそうです。 後でトシテ ミール君に聞いたら、この1日を睡眠不足と疲労回復のため有効に使ったと言っ ていました。 ウズベクの結婚式は大変なのです。 興味深い体験をさせてもら った3日間でした。 花嫁花婿おめでとう!(Tabriklayman!) セレモニー3 博士号取得祝賀会  さて、博士号を取得した学長が出身地の学校に図書と奨学金(学長の父親名の 奨学基金)の寄贈を行うことになり、私もその学校で行われる式典に参加するこ ととなりました。 学長(ザイヌデインさん)の故郷はサマルカンドから150 キロ離れた、綿花畑が一面に続く農村でウズベキスタンの代表的貧困地域とのこ とです。 (当国では、綿花が最大の輸出商品ですが完全な統制が行われており、 ここの農民は綿花しか作れず作った綿花は全て政府が国際価格の何分の一かの低 価格で買い取る仕組みです。 政府は、買い上げた綿花を国際市場で売却し農民 に支払う価格との差額を財政に取り入れている訳で----つまり綿花生産取引税の ようなもの----当国が目指しているはずの市場経済への移行とは全く相容れない 制度が続いています。 この制度のため、綿花を栽培している地域はもっとも貧 困な地域となっている由。)確かに、商店は何も無く電気はあるが水道はなく井 戸、(井戸が無い家は子供達がバケツで水を運んでいる)道路はもちろんでこぼ こで自然のまま。 その日はかなり暑かった事もあり綿花畑の用水路で子供達が 素っ裸で遊んでいました。 キャンデイーを一人にあげたらたちまち近所の子供 達が集ってきてしまいました。 きっとどこからか我々を見ていたのでしょう。  裸足の子も目立ちました。 ザイヌデイン学長の出身校は8年前建て直された そうですが、以前はほんとに小さな建物だったそうです。(現在は小学校、中学 校あわせて生徒数100名余) この学校の校長先生が校舎を案内してくれまし たが、ザイヌデインさんの座っていた机のそのまま残っており彼は懐かしそうに 見つめていました。 (彼が卒業したのは17年前で16歳のとき)もちろんこ の村から博士が出るのは初めてで、又この学校を訪れる外国人は私と連れのJICA 青年協力隊員が初めてと言うこともあり式典は村の人全部が出席したのではと思 われるような規模でした。 ザイヌデインさんの恩師も全員呼ばれており皆ウズ ベクの衣装(マントのようなものと帽子とベルトに使うスカーフのようなもの) を贈られていました。 私も生徒、父兄を前にスピーチをしました。(その場に、 この地域の教育関連の役人が来ていたこともあり、日本の小学生がどんなに勉強 しているか話して欲しいと事前に依頼をされていました。) 式典につきものの 長い来賓の話で貧血を起こし倒れる生徒も出た(生徒達は立ちっぱなし)のにも かかわらず皆、興味津津と言う風情で聞いてくれました。 来賓の話が終わると、 生徒達(小学4年生30人くらい)が、歌と踊りとちょっとしたパフォーマンス をやってくれました。 後で聞くとかなりの練習をしたそうです。音楽の先生が 指導し彼の奏でる民族楽器が歌と踊りをバックアップしていました。 皆、汗だ くで、でも途切れることも無くやってくれました。 1時間半くらいの式典でし たが、故郷に錦を飾ったザイヌデインさん、始めて訪れた外国人を迎えてくれた 村の人々、そしてウズベキスタンの生徒達に合う機会を得た我々とそれぞれにと り良い一日のように思いました。
ェ、歌と踊りとちょっとしたパフォーマンス をやってくれました。 後で聞くとかなりの練習をしたそうです。音楽の先生が 指導し彼の奏でる民族楽器が歌と踊りをバックアップしていました。 皆、汗だ くで、でも途切れることも無くやってくれました。 1時間半くらいの式典でし たが、故郷に錦を飾ったザイヌデインさん、始めて訪れた外国人を迎えてくれた 村の人々、そしてウズベキスタンの生徒達に合う機会を得た我々とそれぞれにと り良い一日のように思いました。